ピエールの心臓

フリーランスを目指す「20代×転勤族の妻×専業主婦」のブログ。転妻ライフ・文学・インテリアが中心。自称「健やかなスピリチュアル研究家」。

ほんとうの名前

 

こんにちわ、とぱちぱち打つと「(✿✪‿✪。)ノコンチャ♡」と変換予測が出てくるのが愛らしいmyPCからお届けしております。

 

サーフェスproの「スーくん」といいます。

 

いるよね、冷蔵庫やら洗濯機やらなんにでも名前つける奴!

 

 

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今日はふと自分の名前について考え及んだ。

 

たまたま珍しい苗字をしているので、読み方を聞かれたのがきっかけなだけなのだけど。

 

仏教では、ある人が亡くなると「戒名」という新しい名前を賜る。

 

輪廻転生するはずなのにナゼ名前が必要なのか?という疑問はさておき、とにかく死んだら生前とは異なるステージになると捉えられているのだろう。新しいステージには新しい名前を。

 

そして女性は、なにも死ななくても婚姻という制度を通して名前が変化する。これもまたステージが変わるとみなされているのだろうか。

 

もちろん、旧姓の自分と新姓の自分はけして分断されたものではなく、地続きになった一つの人格なのであるから、別の人間になったわけではない。ただ名前が違うだけだ。それでももはや旧姓の自分ではないような感覚は確かにある。が、新しい姓と一つになれているかと聞かれると・・・まだ借り物の名前のような気もしている。馴染みはしていない。

 

自分の身近な親族で、名前を変えた女性が一人いる。親からもらった名前とそれがもたらす雄々しい印象をどうしても受け止めきれず、家庭裁判所を通して成年を機に改名した。するとそれまでと打って変わってとても柔らかく女性らしい(死語?)雰囲気になったと自他ともに、感じた。

 

名前が変わるだけで人が変わるなんて嘘のようで、本当らしい。

 

話は戻るが、結婚した今、もう離婚することでしか旧姓の自分には戻れない。だからといって新姓の自分に馴染むわけでもなし。まあこれから新姓の人格を作り上げていけばよいのだろうけど、この宙ぶらりんの時はそれはそれで自分がどこにもないようでもの悲しくて、よい。

 

ほんとうの名前なんていうものは、死ぬまで分からなくて、焼かれた骨にガリガリ君の当たりのように印字されていれば面白いな~なんて、思う。

 

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おやすみなさーい。