ピエールの心臓

フリーランスを目指す「20代×転勤族の妻×専業主婦」のブログ。転妻ライフ・文学・インテリアが中心。自称「健やかなスピリチュアル研究家」。

奥様は卍

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私が「同性を好き」だと知ったのは二十歳を迎えた時分でした。

 

 

 

 

今は年を同じくする男の、人妻です。

 

男性の肉体を欲しない 

 

中高と全寮制の私立学校という特殊な環境で育ったために、自分でもまったく気づいていなかった。

 

 

男性の脱衣した姿に憧れる瞬間と言うのを、一度も迎えずに今まで年を重ねてきたようで、 

 

こう、想起するだけで

 

(申し訳ないが)

 

「う、おえ」

 

と成る。

 

 

 

これは私自身が女として男の体を嫌悪するというよりは、自分自身を男と思うがゆえに男の肉体への抵抗感があるように思う。

 

いわゆる「ストレート」の男性の感覚なのかな。(男性ではないからわからんが)

 

 

そしてこう書いてはいるが、私はいわゆる性同一障害のように戸籍上の性別と性自認がマッチせずに苦しい思いをしているわけではない。

 

 

戸籍上は女であるし、性自認も女として異存はない。

 

 

すこしだけ凸(とつ)なだけだ。

 

 

凸は「凹」の反義語で、「突出している」という意味を持っている。

自分の内部に男のソレのような凸が私にもあるというだけだ。

 

 

 

 

 

 

もちろん比喩だが(^ω^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男性を好きになる感情もある、が・・・ 

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自分でも不思議なのだけど、

男性にも「恋愛感情」を抱く。

 

 

それがどうやら自分が「男が好き」だと長らくカンチガイしていた根源の理由らしい。

 

 

顔が好き、体のバランスが好き、服の着こなしが好き、話がおもしろくて好き、

 

「だから私を好きになってほしい。」

 

 

 

これが自分の「恋愛感情」。

 

 

ただしそれは「ちやほやされたい」、「女として興味関心を集めたい」という欲求であって、イコール「交流を深めたい」とか「男の粘膜を求めている」ということにはならないのだった。

 

 

この記事で書いたように、「好きな男性」が出来たとしても、それは「面影化」するだけで満足できるような相手が多く、まして実際に三次元で関係をもちたいとは毛ほども思わないのだ。

 

 

 

 

モテテクを使う女性ならわかると思うけど、 

 

「ちやほやされる」のは、ものすごく承認欲求をくすぐるというか。

 

 

 

 

小ぎれいな身なりをして、笑顔を忘れずに多くを語らずにいるだけで、

 

 

「双耳さんってキレイだよね。清楚だよね。」

 

なんて2日に1回しか頭を洗わないヤツでも言われるなんてチョロい!

 

 

 

対男性用のふるまいは正しかったのだな、と不思議な自信が生まれる。

 

 

ちなみに”恋愛のお作法”は、

といった方々のブログで勉強させていただきました。

 

 

女性であれば勉強して損はない。

 

というより読まないとこれからの女の人生ハードモードだからつべこべ言わず読みな。←誰

 

 

 

 

それはある日突然のことだった 

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そうして

「自分は男の粘膜を求めていない」

「ほしいのは、女の柔らかい肉だ」

 

と気づいたのが20を過ぎた頃だったのだ。

 

 

幼少の記憶は傷が多くて蓋をしていたのと、冒頭で述べたように中高は女子寮で脱衣した女性を毎日見ていた(ドキドキして目をそらしていたが当たり前だと思っていた)のですっかり忘れていたが、

 

 

 

ワタシの初恋は「おんなのこ」だったのだ。

 

押し倒してチューしたりしたから嫌われたかもしれない! 

 

 

 

 

 

しかも女子寮では当然のように女の”熟れた果実”を揉みしだいたり尻を触ったりしょっちゅうしていたけど、よく考えれば自分以外そんなことしてる子いない!!!!←なにしてんだコイツ

 

 

 

よくみんな友達やめないでいてくれたものだ。

 

 

 

 

 

そして一度気づいてしまえば、もう思い当たることは山の様に出てくる。

しかも好きになる子はみんな「凹」んでいる。

 

「凸としたところ」がなく、いかにも受け入れてくれそうな

いわゆる「男に受ける子」なのだ。これが「凹女」。

 

 

 

凸を凹に入れたくなるのは、何も体が男である人間だけじゃねえんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、何を言っているんだ。

 

 

 

 

 

え?ダンナは? 

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「同性を好き」だというと

 

 

自然ともちあがるのが、

「じゃあ今のダンナとどうしてんのよ」

という疑問である。

 

 

結論から言うと

「まあ、そこそこに」

です。

 

 

夫の尊厳を守るために具体的描写は避けておくけれど、

「なかなか」

です。

 

 

 

何より肉体がひじょうに豊満なところが、すさまじく良い。

 

 

ここだけの話、

大胸筋が張り出していてかつそこに脂肪がのっかるものだから、

 

女であるワタシより大きいのですよ。

 

 

 

 

 

 

脅威の胸囲・・・。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

夫への恋愛感情 

 

今の夫は、ワタシにとって、「自分に興味をもってほしい」だけでなく、相互的に「交流を深めたい」人だった。

 

自分にないものをたくさん備えていて、多くの人から愛される。

それに自分の根幹だと認識している「内省」の部分を愛してくれているからだと思う。

 

もちろん見た目も好みでした。

 

 

 

 

正直もう、

 

 

あああーーーーーー

ようやく「恋愛感情」と「粘膜欲求」が合致する男性が現れた・・・・!!!!

坊様神様仏様!!

 

 

 

歓喜しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど悲しいかな、

 

やっぱり「粘膜」は苦手だったのです・・・・。

 

 

 

だから「そこそこに」

 

なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

グレーなままでいい

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今はこういう結論に至っている。

 

 

自分は「女」だから好き、「男」だから好きという生物学的な分類ではなく、

「女のような柔らかく和むボディ」が好きだということ。

 

男の粘膜が苦手でも、イコール男と愛情関係を結べないわけではないということ。

 

 

つまり

「同性愛者」とか「両性愛者」とか

白と黒で分けてしまわなくてもよいんじゃないか。

 

ということ。

 

 

自分が何を好むかは、ずいぶん後になってわかることもあるからね。

 

 

 

 

確か川端康成の小説だったか、

 

寄宿舎(中学や高校の寮)では男性同士の「営み」が通過儀礼の様になっていて、それが済んでようやく「異性愛」のステージへすすむことができる、なんてクダリがあったと思う。

 

 

異性愛のカタチも同性愛のカタチも、既成のくくりに入れて自分を苦しめないで、

 

混沌の中に飛び込んでしまえばいいのだ。

 

 

 

願わくば、誰でも性別をこえて愛しあい一生の生活をともに送れる時代が訪れますように。

 

 

 

 

♪今日の一冊♪

卍(まんじ)/谷崎潤一郎

卍(まんじ) (新潮文庫)

卍(まんじ) (新潮文庫)

 

 

 

 

 

今日は全体的にスベり散らかしているので、ブログからのすきま風がひどいです。

 

 

寒い。

 

 

 

 

読んでくださってありがとうございました!

 

 

 

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