ピエールの心臓

フリーランスを目指す「20代×転勤族の妻×専業主婦」のブログ。転妻ライフ・文学・インテリアが中心。自称「健やかなスピリチュアル研究家」。

もし20代主婦が【恋愛のバイブル】を一冊だけ選ぶとしたら

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こんばんわわー。

転妻専業主婦の双耳です。

 

 

 今日は突然恋愛話です。

 

 

 

 

 

 

 

私は人妻ですが、もともと惚れっぽい性質で、

 

夫以外にもいろんな人を好きになってしまいます。

 

男女問わず。

 

(言っちゃった。)

 

 

 

 

とはいえ、

 

まだまだ結婚2年目の新婚で、これから考えはまた変わる可能性はあるけど、

 

やっぱり結婚ていいな

すさまじく楽しいな

 

と心から感じています♡

 

 

恋愛経験はそこまで豊富ではないのですが、良好な結婚生活を送るうえで、過去読みふけった本が考え方にヒントをくれることがあります。

 

 

今日はそんなお話。

 

▼目次▼

 

 

恋をする理由

 

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前の記事にも書きましたが、

この世界は、とくに意味もなく存在しています。

 

これビビりませんか。

 

無神論者には、この世に意味はないのです。

そこで必死に、自分の生きている意味や生きる価値を与えてくれるものを求めます。

 

それがいわゆる「生きがい」。

 

 

そしてそのあらわれの一つが、恋愛です。

 

自分の見た目や性格や価値観を肯定して、肉体的にも精神的にも抱きしめてくれる。自分という人間が生きててよいんだという強烈な快感が走る。

 

 

これを手放すのは至難の業・・・。

 

できれば死ぬまで承認してほしいから結婚という形式で独占条約を締結する。

 

 

その「結婚」はいろーんな事情で今まで異性同士でしかできなかったけど、近年同性婚を認める国がでてきたり、日本でもパートナーシップ制度が認められる市区町村が出てきましたね。

 

誰を好きになろうが共同生活が送れるなんていい時代じゃないですか!!

 

 

結婚は意外と合理的

 

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何が合理的かって、別に金銭的に合理的だって話ではない。

 

 

もう何度もくどいくらい言ってますが、生きてる意味がないのだから、なんとか意味を作りながら生きていくしかないんですよ。

 

その点、結婚という社会制度を利用すると、生きる目的がまず一緒に生活するためになる。

 

自分のためだけに生きなくていいっていうのは、救いなんです。

 

 

 

愛情がこじれる前に知っておきたい「恋愛の本質」

 

今の夫と付き合う前に、2~3人、猛烈に恋した人がいるのですが、その恋愛の失敗から学んだからこそ、夫とうまくいっているのだろうと思います。

 

が、この「恋愛の本質」さえ知っていれば、あんなに苦しく惨めな思いはしないんで済んだかもしれません。

 

本当の自分を愛してほしいと本気で思っていた私はバカタレでした。

 

 

そして「もしかしたらそうなのかも」程度にしか考えていませんでしたが、

くっきりはっきりとそれを言語化できたのは、この小説を読んだからでした。

 

 

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて

 

 

これが私の【恋愛の教科書】です。 

 

 

失われた時を求めて(12)――消え去ったアルベルチーヌ (岩波文庫)

失われた時を求めて(12)――消え去ったアルベルチーヌ (岩波文庫)

 

こちらは岩波文庫のもので、全14巻予定で現在12巻まで出ています。

 

その他、光文社古典新訳文庫版も新訳が12巻まで出ており、

ちくま文庫版と集英社文庫版はそれぞれ完訳しています。

 

 

12巻を選んだのは、この巻で書かれていることが、さまざまな社会生活を営む人間が、とくに他者と恋愛関係を結ぶにあたって理解しておかねばならない最も重要な事柄だからです。

 

 これを知らずに恋愛を始めて社会的な制約が生まれる婚姻までしてしまうと、悲劇を見るのは容易なことです。

 

恋の相手は自分のアタマの中にしかいない

 

失われた時を求めて』という小説は、今までの小説の概念を覆した歴史的な文学作品と言われてます。

 

というのも、「あらすじがない」んですね。

 

厳密にいえばありますが、「起承転結!」と単純ではなくて、時間の流れや意識の流れが物語の中で頻繁にいったりきたりするので直線的な「あらすじ」として把握しにくいのです。

 

かといって全部読もうと思うとかなり時間がかかるので、 数か所抜粋しました。

主人公は男性で、作中にでてくるアルベルチーヌとジルベルトはどちらも主人公が恋をした女の子です。 

 

全体的に、過去の恋愛を振り返るような内容になっています。

 

ある人とわれわれとの絆は、われわれの思考のなかにしか存在しない。この絆は記憶が薄れるにつれて緩んでしまう。われわれ自身は幻想にだまされたいと願っているにもかかわらず、また愛情や友情や礼儀作法や世間体や義理から他人をだましているにもかかわらず、結局は孤独な存在なのである。人間は自己の外へ出ることなどできず、他人を知ることも自己の内部でしかできない存在であるー(略)

  (岩波文庫版p84。以下同本参照。)

 

愛がそれほどの苦痛をもたらす段階にまで達すると、女の顔と愛する男の目とのあいだに割り込んでくるさまざまな印象の塊が、苦痛をひきおこす卵のようにすでに異様に膨れ上がって、泉を覆う雪の層のごとく女の顔をつつみ隠してしまうせいで、愛する男のまなざしが到達する前線、つまり愛する男が快楽と苦痛に出会う地点は、他人が女の顔をみる地点とはひどくかけ離れているー(略)

   (p61)

 

ーわれわれが愛の対象とするものは、その知的かつ精神的な相貌がわれわれにとって客観的にはなんら明確になっていない人間とならざるをえず、われわれは自分の欲望や懸念に応じてその人間にたえず修正を加え、われわれ自身から切り離さぬようにしているから、愛の対象となった人間とは、われわれが自分の愛情を外部へ投影する茫漠とした広大な場所に過ぎない。

       (p179~p180)

 

われわれがある女の「やさしさ」を語るとき、子供たちが「ぼくのかわいいベッド、ぼくのかわいい枕、ぼくのかわいいサンザシ」などと言うときにも似て、われわれはその女に会って覚える嬉しさを自分の外に投影しているだけなのかもしれない。そう考えると、そもそも男たちが「あれはじつにやさしい女でね」と言うのが、自分を裏切らない女のことではさらさらなく、たいていの場合。自分を裏切っている女のことであるのも説明がつく。

  (p181~p182) 

 

私は天才的な作でありながらその人に似ていない肖像画というものが、いかに多様な人生の痛ましい説明になっているかに想いを馳せた。(中略)それは恋人の肖像というよりも、対象を変形する恋心の肖像というべきであろう。

  (p64)

 

人はほとんどつねに同じように風邪をひき、同じように病気になるもので、つまりそうなるにはある種の状況の重なりが必要なのだ。私を夢見心地にした最初のころのアルベルチーヌのまなざしは、最初のころのジルベルトのまなざしとまるっきり違っていたわけではない。

  (p193)

 

(愛する女を)われわれは唯一無二だと信じているが、じつのところ女は無数にいる。とはいえ愛するわれわれの目に映る女は、長い期間べつの女に取り替えることのできない、堅固な不滅の存在である。なぜならこの女は、さまざまな魔法の呼びかけによって、われわれのうちにばらばらの状態で存在していた無数の愛情の要素を呼び醒まし、それらの要素を集めてひとつにまとめ、あいだのすきをひとつ残らず埋めてできた存在で、要するに愛する女の堅固な素材をすべて提供してその目鼻立ちをつくりあげたのはわれわれ自身だからである。

   (p195~p196)

 

自分が未練を感じているのは、じつはある唇というよりも接吻にすぎず、愛というよりも快楽にすぎず、ある人間というよりも習慣にすぎないのかもしれない。

  (p303)

 

 

引用がだいぶ長いですが、『失われた時を求めて』が何をいわんとしているか、感じていただけたでしょうか。

 

 

 

つまり恋はまぼろし

 

えんえんと「恋はまぼろしやで」と説いていること巻は、ながいながーい『失われた時を求めて』において最大の山場だと私は思うのです。

 

ただしこの巻にたどり着くまで初めから読むと膨大な時間がかかるというのがネックですね・・・。

 

筋という筋があるわけではなく、人物の心理描写にその多くが語られている小説で、現代文学とくにエンタメ小説推理小説ミステリー小説あたりに馴染んでいる方には退屈に思えるかもしれません。

 

ちなみにこの巻は、死んでしまった恋人アルベルチーヌを偲ぶ内容だけの描写に500ページ以上も割かれています。

 

 

 

 

人は面影に恋をする 

 

失われた時を求めて」もそうですが、私は恋愛というものをするとき必ずこのことを念頭においています。 

 

自分が愛してやまないのは、実は自分の中にある「理想の相手」であって、それを投影しやすい人間に恋をしているように見えるだけなんですね。

 

だから「話したことがないのに恋をする」という現象が起きます。

 

アイドルの追っかけとかそれ以外ないでしょう。

 

 

 

恋する人の顔と実体とがぺりっとはがれ、乖離していくのを感じることがありますか?

 

これを面影化と呼んでいます。

 

私は惚れっぽい性質なので何度も恋する人が面影化した経験があります。

 

一目惚れしたけど、話してみるとあれ、思ったんと違う。

みたいなケース。

 

 

乖離してしまったその時はもう愛することはできませんので、剥がれたあたらしい人格に新しい名と職業を与えることにしています。

 

 

要はその人間を二次元化し、脳みその中だけの住人にしてしまうのです。

これが面影化現象。

 

そうすると、本人とは関わらずに、不貞も働かずに恋をすることができます。

 

 

・・・・

 

 

 

うーん

だんだん電波な内容になってきたのでここで一つ実例をご紹介します。

 

 

既婚者なのに気になる人ができてしまったら

 

以前、既婚者の身の上で、職場の40代男性に一目惚れをしてしまったことがあります。

仮に山田さんとします。

 

山田さんは20も年上ですが、引き締まった体躯と年齢を感じさせないシンプルな顔の作りが妙にツボに入り、毎日目の端で追いかけてしまうような恋をしました。

 

しかしなんというか人として尊敬ができないし、外見以外で好ましいところは何一つない。

 

しかし好きでもないのに肉体への執着がおきるのが煩悩の恐ろしいところで、関係をもつ気は一切ないのにもかかわらず、追い求めるように山田さんの姿を探してしまいます。

 

 

 

そこで、山田さんの実体と見てくれが分離し始めたのを感じたところで、見てくれだけを抽出して、あたらしい人格を与えることに成功しました。

 

 

 

 

 その彼の名は、

 

「葉山先生」

 

です。

 

 

鎌倉あたりに一軒家をかまえる大正時代の小説家という設定。普段着はもちろん和服。しょうゆ顔で胸板の厚いカラダにざっくばらんな麻の着物が似合う!

 

 

 

 

私は住み込みの書生兼・女弟子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ・・・・・。せんせぇ・・・だめ・・・。・・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蒲団」的な!!!!

 

我ながらすさまじく病的な妄想力!!!!!

 

 

脳みその中だけの葉山先生(山田さん)は「面影」にかたちを変え、街角の似た人へその姿を映しては、日々わたしを楽しませてくれます。

 

 

これをすると本人へのアプローチは必要ありませんので、不倫関係になることもない!

 

 

実に平和な遊びです。

 

 

結婚生活でも応用できる

 

 

面影化に気づくと、相手に100%の期待をしなくなるのが最大のメリット。

 

 

面影に恋していることに理解したうえで、適度に相手本体の肉体と精神を尊重しながら、互いの生を慈しみあって日々の生活を送るのです。

 

 

 

 

 

ご覧いただきありがとうございました!

 

 

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