ピエールの心臓

フリーランスを目指す「20代×転勤族の妻×専業主婦」のブログ。転妻ライフ・文学・インテリアが中心。自称「健やかなスピリチュアル研究家」。

「哲学だの社会学だの、物事を関連付けて考えるような、そんなものを齧ったら、待っているのは憂鬱だ。」

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

 

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』を読んだ。

 

本が人の心をかき乱し安寧を奪い去るものとして忌み嫌われる世界が舞台のこの小説は、まさに今の1億総コンテンツ欲の時代に読まれるのにふさわしい物語だと思う。

 

常に誰かが創り出したコンテンツを請うように求めて小さな四角い画面を撫でて撫でて撫でまわす。タップ、タップ、ダブルクリック。スクリーンショット。

 

誰かが自分の代わりに考えて創り出してくれたものを有難がって消費する事に余暇を費やす毎日。だがそれはある意味憂うつにならないために必要な作業なのかもしれない。

 

『華氏451度』の中の人々たちは”ラウンジの壁”(TVのこと)に夢中で寝ても覚めてもコンテンツを求めるように耳には”巻貝”(ラジオをイヤフォンで聞くこと)だ。少しも現実に目を向けなくていいように、常に画面という”家族”と話し続ける。

 

ブラッドベリが恐れた未来の世界はいまやってきている。ただしTV画面よりはもっとずっと小型で持ち運びのできる”壁”だけれど。移動中も食事中も会話中もひとときも手から離さず生活することが当たり前になってしまった。今この小さな画面無くしてリアルというものに向き合うことができるだろうか?

 

ただただ流れていくコンテンツ。誰かの考えを消費する活動。

 

流れる文字。だれかの悪口。書評。口コミ。レビュー。引用リツイート。

 

そこで流れる思考に歯止めかけるのが「紙の本」であるのはまず間違いないだろう。自分の頭で、みずから、考えることができるのは「紙の本」だけである。

 

人間の毛穴ひとつひとつが見えるような、そんな本。

 

だがその本にも魔力がある。

 

『華氏451度』の中で本を燃やすのが仕事である「昇火士(ファイアマン)」の長ベイティーはこう言う。

 

「気安く詩を引用するなんざ愚の骨頂。通を気取った大ばか者のやることだ。詩を何行か読んだだけで、創造の神にでもなった気になる。本があれば水の上を歩けると思いこむ。ところが世の中は、そんなものなんかなくとも、うまくいってるんだ。いいか、お前は口までどっぷりヘドロに浸かっているようなもんだ。おれが小指でひとまぜしたら、お前は溺れちまうんだぞ!」

(レイ・ブラッドベリ『華氏451度』ハヤカワ文庫p195)

 

その代わり国民にはTVをしっかりと見せて、情報を収集しているようにみせてやることが重要だと説く。

 

「誰かを政治問題で悩ませて不幸な思いをさせるのは忍びないと思ったら、ひとつの問題に二つの側面があるなんてことは口が裂けても言うな。ひとつだけ教えておけばいい。もっといいのは、なにも教えない事だ。(中略)平和がいちばんなんだ。国民には記憶力コンテストでもあてがっておけばいい。ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワの去年のトウモロコシ収穫量だのをどれだけ憶えているか、競わせておけばいいんだ。不燃性のデータをめいっぱい詰めこんでやれ。ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰めこむんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。

(同書、p102~103) 

 

 

最後に主人公モンターグは、TVのない、リアルな、生(なま)の世界のにおいというものを嗅ぐ。土の木の葉やほこりのにおい、乾いた川のにおい、生のジャガイモを切ったようなにおい、隣家のカーネーションのような香り。指をくすぐる甘草のにおい。それは同時に生(せい)の世界のにおいでもある。

 

小さな画面越しに生のにおいはするか?そこに生活はあるか?自分たちはちっぽけな存在だと教えてくれるか?

 

・・・そんなメッセージを文庫本の新品のインクのにおいから、嗅ぎ取った。

 

 

 

 

♪今日の一冊♪

レイ・ブラッドベリ/華氏451度 

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)