ピエールの心臓

フリーランスを目指す「20代×転勤族の妻×専業主婦」のブログ。転妻ライフ・文学・インテリアが中心。自称「健やかなスピリチュアル研究家」。

【心療内科経過観察⑥】調子がいいので本も読める

両性具有の美 (新潮文庫)

白洲正子の随筆『両性具有の美』(新潮文庫)を読んでいます。

 

題の通り男性とも女性ともとれる、中世的とはまた違った、両性を備えた人間の有様を続々と取り上げているのだけど、解説にもあるように実際は壮大な日・本・男・色・史でありました。

 

白洲正子さん教養のバケモノすぎて頭がついていけなくなります。

 

ところでこの本の中で気になる一節がありました。

南方熊楠に関する一文で、著書からこんな言葉を引っ張っていたのです。

 

『涅槃経』に、この陰滅する時かの陰続いて生ず。灯生じて暗滅私、灯滅して闇生ずるがごとし、とあり、そのごとく有罪の人が死に瀕しておると地獄には地獄の衆生が一人生まるると期待する。その人また気力をとり戻すと、地獄の方では今生まれかかった地獄の子が難産で流死しそうだとわめく。いよいよその人死して眷属の人々が哭き出すと地獄ではまず無事で生まれたといきまく。

白洲正子『両性具有の美』新潮文庫より南方熊楠の著書の一文。(孫引きです)

 

ようするに、この世で今まさに有罪人が死のうとしている時、地獄では新しく命が生まれることを心待ちにしているということで、こちらで死ねばあちらで生まれる、生と死は裏と表で背中合わせ、両義的であるという主張。(熊楠はこの話と粘菌を関連付けていた。)

 

これを見て、自分はどちらかというと死の世界に近い人間なのだと急に思い当たった。

 

生の世界も死の世界も凹凸のように、どちらの世界にいるかはただ命が出っ張るか引っ込むかの違いなのだと感じる。こちらで朝ならあちらで夜であるようなものだ。生きている人間はつねに死につつ生きているのでそのダイナミクスはまるで心電図の上下運動のようである。いつも生と死、両側に強くひっぱられながら生きている。

 

私は少々死に引っ張られがちで、血圧も低く生を堪能する事能わず。下から強く突き上げられればもう少し生きた世界に隆起できるかもしれないが、他人任せに生きるには思春期を過ぎすぎた。

 

せいぜい今こちらにのぼっている太陽と空を凝視しながらぼんやりコーヒーをすするばかり。

 

 

とまあ、云うてますけど、

 

前回、薬を変えてから調子が良いです。

もうどういう状態が心の正常時なのか忘れてしまいましたが、今なら薬いらないんじゃないかと思えます。

 

相変わらず生きがいは見つかっていませんが。

 

 

 

♪今日の一冊♪

白洲正子/両性具有の美

両性具有の美 (新潮文庫)

両性具有の美 (新潮文庫)

 

 

↓続編です

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