ピエールの心臓

フリーランスを目指す「20代×転勤族の妻×専業主婦」のブログ。転妻ライフ・文学・インテリアが中心。自称「健やかなスピリチュアル研究家」。

デッサンと人間の陰影

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こんにちわ。日陰の住人、双耳です。

 

 

前の記事で、パーソナルカラリストの資格取得のため勉強を始めたと書きましたが、デザインの勉強もほそぼそとつづけています。

 

だいぶ遠回りですが絵画教室でデッサンも学んでいます。

 

 

 

 

デッサンを練習をしていると思うことが多々あります。

 

 

 

 

・見えているものを「そのまま」何かに移そう(写そう・映そう)とすると、だいたい「錯覚に陥っている」ということ。

 

・人間の体は動かなければ、臓器や筋肉・骨格を組み立てた積み木かプラモデルかに見えるということ。

 

 ・「芸術は爆発」かもしれないけど、しっかりと基礎を習ったデッサンの整ったものも美しいこと。

 

すべてこの世に存在するものは他の何かしらとの関係性の中にあるということ。

 

・光が強く当たっているところほど落ちる影は暗く濃いということ。

 

 

 

 

私は個人的に陰影のハッキリした絵や写真が好きです。

 

陰影、明暗のない絵というのは見ていると穏やかな気持ちにはなるけれど、どこか浮世離れした極楽浄土のようなイメージを喚起させる。

 

安野光雅さんの絵などその典型だ。

 

 

 

「陰と陽」のくだりに通ずるのかもしれないが、「光と影」「陰影」は人間にも当てはまるのではないかと思う。

 

陰をつくる凹凸のない平べったい人は他人の邪魔にならなくて愛されるだろうけど、突起したところがないので、日なたにいようが日陰にいようが文字通り「つかみどころがない。」

 

するっと手を抜けてしまう。

 

深い陰にいる人間は、よく見ないと凹凸も影も判別しづらく、「見えづらい」という点で人から掴んでもらいにくい。深いところにいることだけは分かる。

 

 

一番人から人間存在として立体感をもって見てもらえるのは、日なたにいながら、凹凸があることで陰ができるような人間かもしれない。

 

こういう人が「人」として教科書に載りそうに思う。悩んだり、前向きになったり、ちゃんと脈がある。ほどよく陽気でほどよく陰気。

 

 

 

そんな人間が存在するか分からないが・・・・。